親愛なる皆様
おはようございます。
車での移動中、ふとラジオをつけると、そこから流れてきたのは
何十年も前から放送されているテレフォン人生相談。
30年以上前、私がトラックドライバーをしていた頃から放送されている
長寿ラジオ番組、以前にもコラムで書いたことがありますが、
パーソナリティは社会学者の加藤諦三さん。
この方もその当時からずっと出演している。
聴こうと思って聴くわけではないし、相談者の暗くて重たい話しであったり、
時に自分勝手な相談内容に腹が立ったりするのだが、
ついつい最後まで聴いてしまうことが多い。実はそれには理由がある。
相談者とパーソナリティのやり取りよりも番組の始まりに挨拶にかえての一言と
終わりに総括の一言を加藤諦三さんが述べられる。
その一言が実に深く本質を突いた言葉、それが聴きたい。
先日の一言が正に今朝のタイトル「認めたくないことを認める」でありました。
そして、次に続く言葉は、そこから道は拓ける。
「認めたくないことを認める、そこから道は拓ける」なるほどと唸らされた。
相談内容の殆どが、否、100%が人間関係に根差す。
相談者は誰かの事で悩んでいる、その誰かをどうにかしたい、
その誰かが何とかならないかと思って、相談の電話をしてくるのだが、
相談のやり取りが進んでいくうちに、その誰かに向いていた矛先が
相談者自身に向いてくる。
誰かの不出来や至らなさや愚かさにばかり意識を持っていかれ、
自分の不出来や至らなさや愚かさに気付いていない、というか、
認めたくない自分のそれらを相手に転嫁させているに過ぎない、
もっと言えば、自分の不出来さ至らなさ愚かさが実は相手に投影されているという
根源的な法則だということに気付いていない。
相談者の中には、それに気づき、相談中に涙声で震えだす人もいる、
逆に、それでも認めることを拒んでいる感じの人もいる様々だ。
相談の電話を切った後、その人が実際にどう行動を起したか起こさないかは
視聴者は知る由もないが、相談の内容やシュチュエーションは違えど、
殆ど全ての悩み苦しみの本質は皆同じであることに気付かされる。
私の周りにおいても私自身においても同じことだ。
自分の非を認める、
自分の不出来を認める、
自分の至らなさを認める、
自分の愚かさを認める、
そこから道は拓ける。
今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!