親愛なる皆さん
おはようございます。
数年前に書いたコラムを引用する。
信号が青に変わったのに、前の車がなかなか発進しない、
後続車が軽くクラクションを鳴らした・・・
すると、前の車から如何にも悪そうな若い輩が三人、
二人は木刀、一人はバットを持って降りてきた。
そして、後続車に乗っていた真面目そうな若者二人は
引きづり降ろされ、3人の輩から暴行を受ける。
若者は両腕で顔をガードしながらうずくまり、
止めてください、止めてください、と連呼するのたが、
3人の輩は止めようとしない、そして、ついに、
運転をしていた若者の歯が折られ流血した時、
若者は判断した。 命の危険性あり、と。
うずくまっていた若者が、すっくと立ち上がった瞬間、
ガードしていた両腕が顔から離れたかと思うと、
次の瞬間、若者の拳が、輩へ向けて一人、二人、三人
と放たれ、瞬く間に三人の輩は気を失い路上に倒れ落ちた。
一瞬の出来事だった。
そのすぐ後に、通報で駆けつけた警察が到着したが、
現場の状況を見てキョトンとしていたそうだ。
映画のワンシーンの様な話だが、以前、地元で起きた
現実の出来事。私の親友は空手の師範で週の半分以上は、
道場で子供達を指導している。歯を折られた若者は、
その親友と同じ道場の後輩師範というわけだ。
武道の有段者は、素手は凶器と見なされ、武道以外の
場所でそれを使った場合、それは犯罪と見なされる。
しかし、命の危険性を感じたときなどは、
刑法においても正当防衛とみなされる。
故に、先述の事件は、明らかに正当防衛で、
特に三人の輩は、地元で札付きのワルだったということで、
三人を倒した若者には一切のお咎めはなかったことは云う
までもない。それどころか、警察や市民から至極感謝
されたそうだ。
さて、私達は仕事をしていくうえで、暮らしをしていく
うえで、常に判断と行動を繰返している。もっと言えば、
人生は、判断と行動の連続だ。 しかし、時として、判断
を誤ることがある。
そして、その判断と行動とが噛み合わないとき、
よろしくない結果が出ることがある。
例えば、先述の事例は、「命の危険性あり!輩を倒そう!」
その判断と行動は、見事に噛み合った。もし、若者が武闘家
でなければ「倒そう」という判断はしなかったはず。
腕に全く力がないのに倒そうと思い、飛びかかっていったら
本当に殺されていたかも知れない。
力がなければ「逃げる」という判断が賢明だろう。
たとえば、これを個人ではなく組織、会社経営に置き換
えたらどうなるか・・・
大雑把に役割を分けると、判断は経営者、行動は社員
ということになる。能力の高い社員に、判断能力の低い
経営者が誤った指示を出したらどうなるか?
社員は能力が高いので、誤った仕事をどんどん推し進める。
会社はおかしくなります。 逆に、社員の一人ひとりの
能力がさほど高くなくとも、経営者の判断能力、判断
センスが高ければ、指示の出し方、適材適所の配置に
よって強い組織は創れる。
実際にそんな事例を私は数々観てきた。
判断も行動もどちらも大事、
でも常に行動の前に、判断がある。
判断を誤ったら、先の若者の命も危うかった、
判断を誤ったら、会社経営も危うい。
冷静で賢明な判断は、我々経営者、リーダー、
否、人間としてとても重要な課題であります。
今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!