どうかご安全に | 物流応援団長山田泰壮の元氣が出る話

物流応援団長山田泰壮の元氣が出る話

物流応援団長山田泰壮が経営者・リーダーにお届けする元氣が出るブログ

親愛なる皆さん
おはようございます。

私は中学3年生の時に叔父を交通事故で亡くしています。
私の生まれ故郷である京都に住まいがあり、子供の頃、
遊びに行っては泊めてもらったり、近くの山へカブト虫を
獲りに連れて行ってくれたり、父方の叔母の御主人で、
その叔母が私のことを独身時代から特に可愛がってくれて
いたこともあって、結婚してからは叔母叔父共に可愛がっ
てくれた。時に叔父と叔母がイチャイチャする姿を見せつ
けられたりして、子供心にこちらの方が恥ずかしい思いを
したことを憶えている。本当に仲のいい夫婦だった。
二人の間には二人の子供がいて、私よりも七歳下の従弟と
十歳下の従妹で、二人共ムチャクチャ素直で優しくて、
本当にいい子だった。仲の良い絵に書いたような兄妹。

事故が起きたのは私が中学3年生の時なので、
従弟8歳、従妹が5歳だった。
御通夜の会場で叔母と従弟妹が棺にすがり泣き叫ぶ姿が
今も脳裏に焼き付いている。こうしてパソコンのキーを
叩いていても思い出して涙が溢れてくる。

なのに何故今朝このことを書こうと思ったのか、
それは一昨日の函館の二日間研修で、受講生の皆さんに
安全に対する意識を高めようと講義の中で過去に身近で起
きた悲惨の事故について話したことから、様々な場面が
走馬灯のように思い出され、叔父のことを今朝も思い出
していた。

私はヤマネット創業前に16年務めていた会社で、
死亡事故発生後の対応を管理職として2度している。
どちらも当方ではなく、先方が亡くなった事故だった。
病院でご遺族の方と顔を合わせたあの場面も脳裏に焼き
付いている。

私と年子の実兄は、小学校1年生入学直前に交通事故に
合い、頭蓋骨陥没という生死を彷徨うほどの手術をして
いる。奇跡的に助かり、その後はずっと今も元気だが、
その時、事故現場に駆け付けた父親が現場にいた加害者
に殴りかかるのを警察や店の従業員の人達が必死になって
止めていた場面は幼児だった私の脳裏にしっかり焼き付い
ている。

過去に観た数々の場面を思い浮かべ、今この仕事をしてい
る不思議な因果を今更ながら思います。

運送事業を営み、同時に運送事業者を主な対象とし、
交通事故撲滅を命題に研修事業を営み活動しています。
自社の社員と研修の受講生にいつも伝えているのは、
「物流は世の血液、無くてはならない大事な仕事、
誇り高き仕事、しかし、一方で、一瞬にして人の命を
奪ってしまう巨大な凶器を操っているという責任重き
仕事である。我々の仕事は誇り高き責任重き仕事で
あるという自覚を常に持とう」と。

お読み頂いた皆さんには朝から重たい気持ちにさせて
しまい大変申し訳ありません。でも、事故防止の一助
になれば幸いです。どうかご安全に。

今日も一日良い日に致します。

物流応援され団長・山田 押忍!