勉強には二種類ある:後編 | 物流応援団長山田泰壮の元氣が出る話

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物流応援団長山田泰壮が経営者・リーダーにお届けする元氣が出るブログ

親愛なる皆さん
おはようございます。

子供の頃、学生時代、私は本当に勉強が嫌いで
嫌いで仕方がなかった。その反面、働くことが好きで、
中学、高校時代は、いろんなアルバイトをした。
運送会社で引っ越しの助手、食品スーパーでの売り子、
アサリ売りの行商、教材の販売、道路工事、工場の清掃員・・・
そんな勉強嫌いな自分が、今、こうして勉強の大事を
痛感している。それどころか、研修を事業としている、つまり、
勉強することを本業としているわけだ。当時からは考えられない。
そして、この年齢になり、つくづく思うことは、
勉強の仕方には二種類があるということだ。
くっ付ける勉強と、取っ払う勉強。
子供の頃、私が嫌っていた勉強は正に知識や
考えをくっ付ける作業、つまり理屈、理論であります。
これらを身に着けることによって、理屈抜きで、思ったら
すぐ行動をしていた純粋でキラキラ輝いていた子供が、
いつしか考えるようになる、思いと行動の間に理屈、
理論が割って入り、即行動しなくなる。更には、
出来ない理由を並べだす、屁理屈を言いだす。
それが年齢と共に益々エスカレートし、理屈だけ
で殆ど行動が伴っていない輝きを失った中高年
が出来上がる。
理屈理論を身に着けることや、考える事が悪いと
云っているわけではないが、同時にもう一つの勉強
の仕方を意識し実践していく必要性
を今正に中高年の仲間入りをし、痛感している。
それが、取っ払う勉強である。
過去にくっ付けた理屈理論、出来ない理由、
屁理屈が行動を止めてしまっている。あたかも、
こびり付いたしつこい汚れのような、お腹の周りに
ついてしまった贅肉のような、それらを取っ払う。
理屈抜きで即行動していた子供の頃に持っていた
ピュアな心の周辺にくっ付いた汚れや贅肉がある、
それらを取っ払っい、ピュアな心、素直な心を取り戻すこと。
それらをどんどん取っ払っていくと、奥の方にある(相当奥の
方だと思うが)あの頃のピュアな心、素直な心が見えてくるはず。
否、必ず見えてくる。
さぁでは、どうやって、取っ払うのか?
私の考えはこうだ、苦言を呈してくれる人を見つけて
その人に近づく、こびり付いた汚れは、相当しつこいので、
それを叩き割ってくれるような苦言、厳しいことを云ってくれる
人に近づき教えを乞うこと。
つまり、師を探し、見つけ、師事すること。
苦言は出来るだけ避けたい、厳しいことは出来れば
味わいたくないというのが心情だろう、故に「この人から
言われるなら」と思える人を(人生の師)を持つことだ。
輝きの失せたメタボリックの中高年になるか、
キラキラ輝いた少年のように生きるか。
先日の<NO!ポケモンGO>と絡めてコラムを
完結させようとしたが、上手くいきそうにない・・・
行動が伴わない輝きを失った者にならぬよう、
二種類の勉強を意識し、やるしかない。
公園でウロウロとポケモンGOをやってる場合ではない。
ちょっと強引だったか^^;

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!