違いを活かす(下) | 物流応援団長山田泰壮の元氣が出る話

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物流応援団長山田泰壮が経営者・リーダーにお届けする元氣が出るブログ

親愛なる皆さん
おはようございます。

前回のモーニングメールから少し日にちが経ったが、
つづきを書く。
今でこそ、吉本興業東京進出、明石家さんまを筆頭に
関西の芸人が全国で活躍し、全国どこでも関西弁を耳に
するようになったが、今から40年以上も前のこと、
当時は未だ吉本興業もそれほどはメジャーにはなっておらず、
関西エリア以外で関西弁を耳にすることはあまりなかった時代に
家に遊びに来た友達(幼い子)が、私と母の会話、山田家で飛び
交う関西弁会話は衝撃的だったのかもしれない。
その翌日から「山田が家でヘンな言葉を喋っとる」という噂が
瞬く間に拡がり、その日を境に、私は関西弁を封印した。
とうよりも、自宅内や親戚縁者とは関西弁、自宅外、友達との
会話は名古屋弁と上手に使い分けるようになっていた。
自宅で親兄弟と関西弁で喋っているところに、
友達から電話がかかってくると名古屋弁で喋り、
電話を切るとまた関西弁と、実に器用に切り替えていた。
最早それは自動切り替えスイッチ内蔵のレベルであります。
その切り替えスイッチは、実に長きにわたり機能し、
学校を卒業し、社会に出てからもずっと続いた。
それが、いつごろからだろうか(20年くらい前からか?)、
周りを気にするような年齢でもなくなり、
吉本興業も関東に進出し、違和感のない時代になり、
いつの間にか、スイッチが関西弁でオンになったままになった。
人間は生まれ育つ過程で、生存行動範囲をじわじわと広げていく。
お母さんの腕の中、ベビーベッドの中から、家中をハイハイで
動き回り・・・ 幼稚園、小学校、中学、ある者は高校、大学、
そして社会へと、行動範囲を広げていくことは同時に関わる相手
の人数も増え、お母さん一人だけと関わってきたあの頃と比べ
ると、ほんの20年の間にまるで別世界で生きているようだ。
そして、関わる多くの相手もまた実に様々なタイプが現れる。
だから必然としてそれらを受け容れ、許容し、関わりながら人は
成長していく。
しかし、子供の頃は実にその許容範囲が小さい。
また時代環境も手伝ってか、
昔は特にその傾向が強かったように思う。
たかが、方言、少しばかり話し方のイントネーションや
単語の発音が違う程度でもいじめの対象になったり、その他、
例えば天然パーマの子や、背が極端に小さな子、色黒の子・・・
ちょっとした違いを受け容れることができず、本人が嫌がるような
呼び名で呼ばれたり、仲間外れにされたりと。
それが、先に書いた人間の生存行動範囲の拡大と目まぐるしい
環境の変化によって、必然として多様性を受け容れざるを
得ない時代となった。
にも関わらず、未だ世界各地では民族や宗教の違いによって
紛争が絶えずにいるし、差別や虐待、セクハラ、パワハラなども
根本は同じかもしれない。
故に、一方では、ダイバシティマネジメントのような考え方、
手法が取り入れられたり、多様性を受け容れることの重要性が
謳われているのでしょう。
自社内を観ても、他社を観ても、業界を見渡しても実に様々な
タイプの人達がいる。タイプ、考え、性格、やり方・・・
それら,「違い」が上手くかみ合い機能している組織と、
そうでない組織とでは、成果、結果がまるで違う。
「違い」は、時に厄介で、時に素晴らしい。
「違い」を活かすこと。
リーダーにとって大変重要な課題であります。
ちなみに私、今では、いつでもどこでも関西弁で喋っていますが
意識してスイッチを切り替えると今でもちゃんと名古屋弁も
喋れる。でら上手に喋れるんだわ(笑)
今日も一日ええ日にしよみゃ~^^v

物流応援され団長・山田 押忍!