命の概念 その1 | 物流応援団長山田泰壮の元氣が出る話

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物流応援団長山田泰壮が経営者・リーダーにお届けする元氣が出るブログ

親愛なる皆さん
おはようございます。

廃棄商品不正転売の事件が相次ぎ、世間を騒がしている。
その企業名が、あまりにも身近であることに私や我が社の
社員達は驚いたり、首を傾げたり、苦笑いしたりしている。
聴いたことがある企業名どころではなく、ココ壱番屋さんは、
愛知県一宮市の同じ町内、例の産廃業者もお隣稲沢市の会社、
消費者に販売していた店舗には、納品先顧客もある。
安全神話崩壊が云われて久しいが、
昔、テレビで観ていた外国で起きている事件、東京などの
大都会の出来事と思っていた事が今やごくごく身近で、
それも日常な出来事になってしまっている。
先日の新聞のコラムに、
谷川俊太郎さんの詩「しんでくれた」が書かれていた。
うし しんでくれた
ぼくのために
そいではんばーぐになった
ありがとう うし。
牛だけでなく、豚も鶏も魚も死んでくれる。
でも、僕は死んでやれない。
もししんだら
おかあさんがなく
おとうさんがなく
だからぼくはいきる
うしのぶん ぶたのぶん
しんでくれたいきもののぶん
ぜんぶ
だから手を合わせて「いただきます」。
食とはそういう営みなのに・・・
廃棄商品を転売するという行為は論外としても、
そもそも廃棄されるそれらの商品の元々は牛、豚、鶏である。
僕の為に死んでくれた生き物たちが加工され、倉庫で保管され、
期限がきたら廃棄されていく・・・
大量生産、大量消費、大量廃棄のプロセスに、
手を合わせて「いただきます」の営みはまるで見えない。
命の概念が変わってしまったのか・・・
いや、変わった。変わってしまったのだ。
殆ど毎日のように報じられる殺人事件、毎年三万人を超える自殺者、
幼児虐待も根差すところは同じだ。命を軽んじている。
では、何故、命が軽んじられるようになったのか?
その原因は産業の肥大化,経済最優先の社会構造にあると観ている。
朝から重たくて長い話になりそうなので、
この話題はシリーズで書こうと思う。
今朝はここまで、つづきは次回以降。
まずは、今日からちゃんと手を合わせて「いただきます」をしよう。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!